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2008年6月

2008年6月26日 (木)

日経社説に意義あり!

またしても日本経済新聞の社説についての異議である。26日付社説で日経は「コンビニ深夜規制より大切な事がある」と題して「地方自治体の間でコンビニエンスストアの深夜営業を規制しようとする動きが広まりつつある」ことに焦燥感に駆られ「深夜営業休止は・・・問題解決にはならないだろう」「環境対策は縮み志向ではなく、競争力を向上させる方向で考えたい」と、相変わらずの経済至上主義まるだしの観点から「夜型ライフスタイルを改める契機にする」と主張して深夜営業の規制に意欲的な京都市などをけん制しているのである。

地球温暖化問題に限らず、いま世界にそして日本に問われているのは、これまでの消費拡大や24時間眠らない社会を根本から見直すことにある。根本から見直すというのは、たとえば多少の我慢はいとわないということだし、不便さも享受するということである。
社説では「コンビニやレストランが営業時間を広げたのは生活者(?・・筆者)の要望にこたえた結果であり、逆ではない」などとのたまっているが、真実は企業が深夜残業を強制し、子供たちに塾通いを無理強いしていることが、営業時間を広げているのではないのか。
また「07年度に女性が身の危険を感じコンビニに駆け込んだ例が1万3千件あり、その半数は深夜だった」と、ここまで言って深夜営業を続けろと訴えているのだが、そもそもそんなに遅くまで子供や女性が外出している事が問題なのではないか。

たまたま同日付の朝日新聞に、本間研一北大教授(日本睡眠学会副理事長)が「サマータイム制度」問題に言及していた。「日本人の平均睡眠時間は7時間22分で欧米人に比べ1時間前後短い。多くの日本人はすでにギリギリの睡眠時間に耐えている」「ドイツやフィンランドの研究では春にサマータイムが始まる際、1時間のずれに体のリズムが同調するのに約三週間かかる」「睡眠障害の子を持つ親のアンケートでは6割以上がサマータイム開始時に子供の睡眠に影響が出た」
そしてインディアナ州の700万世帯の調査で、サマータイムを実施して消費電力が1~4%増えた。それは早く帰宅してクーラーを使うからと結論付けているのである。

そして本間教授はこう提起するのだ。「コンビニなどの深夜営業を規制して24時間型社会からの転換を」図ろう、と。
まさに、環境対策は縮み志向でなければ解決できないところまできているのではないのか、日経さん!

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2008年6月23日 (月)

音楽遍歴④

♪ああインターナショナルわれらがもの、起て飢えたる者よ、いまぞ日は近し・・・♪
高校三年生ぐらいから、急速に政治に目覚めていった。70年安保の年がちょうど17歳の多感な時期だということもあるし、何よりもあの時代の雰囲気はとても言葉で言い表す事は出来ない。今の学生たちには想像もつかないだろうが、周り中活動家だらけだったのだ。放課後は討論に明け暮れ、ベトナム反戦集会や反安保の集会やデモに主体的に参加していった。ブログのコメントに第三者面をして、ふざけた事を書き込むなんていうことは、時代が違うにしてもまずあり得なかっただろう。
学生時代に政治や社会に異議申し立てを言うほどの敏感な知性を磨かずして、いつその批判精神を育てられるというのだ。私たちは、いつも政治家や官僚の言いなりになるだけの存在ではないのだから。

さて話が脱線してしまったが、高校三年ぐらいから大学生時代はそんなわけで「インターナショナル」や「友よ」「ワルシャワ労働歌」を歌うのが日課になっていた。だけどもちろんそれだけの世界だけではない。あの頃台頭してきたのは、フォークソングであった。私も家にあったクラシックギターを手に、岡林信康、フォーククルーセイダース、高石友也の曲なんかを歌っていた。「自衛隊に入ろう」「受験生ブルース」「悲しくてやりきれない」などなどまさに時代を反映した歌の数々。そうそう、新宿駅で反戦フォーク集会が盛り上がったのもこの頃で何千何万の若者が、一緒に声をはりあげた。当時有名になった官憲のセリフがある。「立ち止まらないでください。ここは通路です、広場ではありません」

インターネットで一見広場らしきものはある。しかし今作らなくてはならないのは、仲間たちが集い声を上げることの出来る、本当の広場ではないのだろうか。

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2008年6月19日 (木)

桜桃忌

高校時代、太宰治の作品に触れ、そのみずみずしい感性と、研ぎ澄まされたひとつひとつの文章に私は心をすっかり捕らえられてしまった。
友人たちとガリ版刷の「文集」を作り、そこにへたな小説や詩を載せたり、彼の作品について語り合ったり、反体制的な活動をはじめたりとおそらく太宰の影響は少なくなかったのではないかと思う。

「人間失格」や「斜陽」がやはり太宰の代表作であろうが、私のいちばん好きな作品は日記風に書かれた「正義と微笑」である。青年時代の若者の感性をあれほどまでに胸に迫る文章で書き上げた太宰。彼の死は自殺だったが、それ以外に道はなかったのかもしれない。

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2008年6月18日 (水)

消費税引き上げについて

福田首相は、17日の記者会見で「(消費税引き上げの是非について)決断しなければいけないとても大事な時期だ」と、いよいよ国民に対する収奪の強化を図るべく宣言した。
私たちは絶対に消費税引き上げを、高齢化社会が進むのだから仕方がないなどと言って許してはならない。みんなから公平に徴収できるのが消費税・・・なんていうのは政府のお先棒を担いでいる、生活に何の心配もない経済学者や一部マスメディアの言い分だ。

考えてもみよう。ぎりぎりの年金生活をしている高齢者も、株で1日に何億円も稼いでいる若者も、牛乳1本買えば同じ消費税が取られる。どちらに税金アップの厳しさが身に沁みるのか。公平さをいうのなら、スタート地点から公平にしてくれ、ということだ。まずまともな年金を、「最低限の生活」が出来る年金を保障してみよ!いま国民年金の満額受給は
40年間保険料をすべて払った人で、月額66,000円。国会議員や官僚どもにもこの金額でぜひ生活をしてほしいものだ。そうすれば庶民いじめの、税金引き上げなんていう考えはどこからもでてこないだろうから。

福田首相は「かなりの高齢化社会になりつつあることを考えると道は狭くなっている」とも言っているのだが、チャンチャラおかしいよね。大体収入に応じた予算も組まずに(だから歳出削減ができない)政治を運営しているのがおかしいし、最高40%で頭打ちにした所得税率(年収1800万円以上の高額所得者は全て一緒)、企業の法人税は下げたままとか
広い道があるのにそこには目を向けず、狭い道ばかり行こうとしているわけだ。

最後に欧米と比べると低いといわれる消費税率について。イギリスやアイルランド、オーストラリア、メキシコなどの国々は、食料費には税金がかかっていないとか、スウェーデンやフィンランドなどの北欧諸国の社会保障の豊かさを知っている私たちとしては、企業の生き残りだけを考えているこの国の税制については悲観的にならざるを得ないのだ。

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2008年6月15日 (日)

音楽遍歴③

高校時代は某県立高校の放送部に属していた。相変わらず歌謡曲が好きで、ティーンエイジャーのくせに鶴岡正義と東京ロマンチカの「君は心の妻だから」なんかを口ずさんでいたりもしていた。しかし、部活動や他の部員たちの音楽観、いや何よりも時代の影響が次第に私をとらえ始める。
ビートルズやローリングストーンズ、ビージーズなどのポップスやジャズーR&B が私の耳を刺激し、心を騒がした。英語の詞を一生懸命覚え、テープレコーダーで繰り返し歌った。
放送部にいたおかげで、普通なら使えるはずのないテレコを(当時はまだレコードの時代だったのだ)存分に使う事が出来たのだ。

高校時代の音楽でもう一つ特筆すべきは、何と言っても「深夜放送」だろう。オールナイトニッポンの糸居五郎、亀淵昭信(ニッポン放送の社長になったのには驚いた)斉藤アンコー、セイヤングのなっちゃん、チャコちゃん。いわゆるディスクジョッキーの軽妙なおしゃべりに連帯感を感じていた。そして当時は新曲といえば、深夜放送から知る事ができたのだった。テスト勉強をしなければならなかった夜遅くに、オールナイトニッポンを聞いてしまったために涙を流したことが、いったい幾日あったことだろう。
梶幹夫アナに手紙を全部読んでもらったのも、今では懐かしい思い出だ。

高校時代後半から大学時代、私の歌う歌は「インターナショナル」「友よ」などベトナム反戦運動に大きく影響される・・・

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2008年6月11日 (水)

問責決議可決について

参議院で福田首相の問責決議が可決された。これに対しての反応は、自公の反動ども(もう、彼らの厚顔無恥な対応を見ているとこういう言葉が素直に出てくる)が衆議院に提出する福田首相信任案ときたもんだ。そしてマスコミは「なぜ今、問責決議か」などと言いつつ、自公を助け励ましているのだ。五時のNHKAMラジオのニュース解説では、途中から聴いたので誰の発言かはわからないが、「後期高齢者医療問題では、民主党は対案を示していない。自民党は色々改正をしようとしていてそれが福田内閣支持率の向上につながっている」と述べていた。

おいおい、支持率アップのことを言うなら10ポイントも20ポイントも上がった時に言えよ。
確か3ポイントぐらいだったのでは?沖縄県議選での敗北を仲井真知事は「高期高齢者医療制度のせいで負けた」と正直に語っていた。もはや問題はそれを廃止し、衆議院を解散し、総選挙を実施することなのだ。なぜそこから目をそむけさせようとするのか。
その答えももはや当然なのだろう。いまそれをやれば、自公は負け、財界の茶坊主=マスコミは大いに困るというわけなのだ。

参議院選挙で自公が大敗したとき、当時の安倍首相がテレビ画面に登場し「私はやめません」とあくまでも政権にしがみつく意向を表明したが、それに対しての筑紫哲也の言葉を私は今も忘れないし、ジャーナリストの立つべき場所を指し示していると思うのだ。

国民は自分の意見の表明を、選挙によってしか発揮できない。その結果をまともに見据えようとしないのはどういうことか・・・確かこういうニュアンスの発言であった。
マスコミよ!直近の民意は自公政権に反対、なのだ。「ねじれ」云々をいうのなら、直ちに解散ー総選挙をやれ!と国民や、政権にしがみつく自公反動議員に(また言っちゃった)訴えてみたらどうだ。

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2008年6月 9日 (月)

斜に構える

「宝石をちりばめたように光り輝く、上空から見た東京の夜景・・・そのたびに思うのは、小さな我が家で、ちまちまと明かりを消し、冷房を我慢しても、どれだけの二酸化炭素(CO2)削減の効果があるのかという疑念だった。温暖化の責任の多くは、二十四時間眠らない経済・社会システムにあるのではと斜に構えていた。しかし今回の調査では、そんな見方は少数派・・・約81%の人が環境に配慮していると回答・・・家庭の努力はまだまだ必要」

引用が長くなったが、これは6月8日付の日経新聞「クイックサーベイ」からの編集委員の文章だ。この人は「二十四時間眠らない経済・社会システム」に「温暖化の責任」を求めることを、斜に構えていると言い否定的にとらえている。斜に構えるとは「物事に正面から接するのではなく、ことさらずれた対応の仕方をする」というような意味だから、私のとらえ方は間違ってはいないだろう。

環境問題を論じる時、もちろん自分自身の問題としてとらえることは必要だし、出来ることはどんなに小さなことでもやるべきだ。しかし、ジャーナリストたるものは個人レベルだけの問題にこれを矮小化せず、もっと大局的な見地から報道する責任があるのではないか。はっきり言えば、「二十四時間眠らない経済・社会システム」に大きな問題があり、このようなシステムを変えない限り、もはや温暖化は防ぎようがないことを数字を使って検証していくような報道姿勢が今問われているのだ。

斜に構えた報道を、日経に期待するのは無理かな?

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2008年6月 4日 (水)

雲の都③

加賀乙彦「雲の都・第三部」を読み終えた。この巻の主人公である小暮悠太の叔父、菊池透の死に涙した。小説を読んで泣くなんてとても久しぶりだが、私もそれだけ年を取ったということなのだろうか。
最近、日本の文学や映画などでは、いわゆるお涙頂戴物が人気らしいが、加賀乙彦の作品はそれらのものとは一線を画すと思う。人の死や病気ー不治の病を扱えば、多少の文学的才能や映画製作経験があれば「感動作品」は作れるであろう。しかし、人はなぜ生まれ、どう生き、どこへ行くのか、という深大なテーマがあらかじめ封印されている、それどころか考えようともしない作品ばかりなのではないか。

まあ他の作品のことはともかくとして、この第三部も非常に読み応えがあり、人生というものを考えさせられたのは確かなのである。
記憶に残る文章もたくさんあるのだが、その一節。読んでいると、目の前に桜の花びらが飛んでくるように感じてしまう名文だ。「(水の上から見る桜は)ほんとにいいもんだねえ。水の底で桜が咲きほこっている感じがいい。水が桜を生み出しているようだ。そして水底からも空からも花びらが水面に集まってきて浮いて踊っている」
そんなロマンチックな文章だけの作品ではもちろんない。「ぼくが悟ったのは、日本人は戦争中も戦後も少しも変わっていなかったという事実だね。個人が孤立してなにかを主張すれば、集団は寄ってたかって個人を攻撃する。苛める。疎外する」

さてここで私には言いたいことがある(いつも言ってるか?)
それは現在法政大学をはじめとする学園で行なわれている、大学当局による学生への不当弾圧についてである。大学は学問を追究するところであることは言うまでもないが、決して企業の下請け機関ではないし、まして教授や学生部の言いなりになる学生を生み出すための機関ではない。個人が孤立してなにかを主張するとき、それを守るのが大学の勤めであり、知識人の任務ではないのか。戦争に反対し、大学の自治を守るために立ち上がっている学生に対して退学や停学処分を乱発し、あろうことか警察ー国家権力の導入をたやすく要請することなど、教育を本分としている大学であるならば、絶対にあってはならないことだ。
今私に出来ることはあまりないのだが、心の底から現在の自公ー戦争突撃内閣を憂い、身体を張って闘っている、法政大をはじめとする学生たち、法政大学文化連盟に「がんばれ」の声を届けたいのだ。

おそらく加賀乙彦もそうだろうと思いつつ・・・

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2008年6月 1日 (日)

フリーマーケットに行く

さわやかな青空のもと、近所で開催されたフリーマーケットに出かけた。ワイシャツとペコちゃんの小さな人形をゲット。森永卓郎さんに影響されたわけではないが、おもちゃの収集が一つの楽しみとなりつつある。集めているのは、ベティちゃん・ポパイ・オリーブ、そしてペコちゃん。フリーマーケットで買えるものは圧倒的にペコ関係が多い。売っている人と値段の駆け引きをするのも面白く、お金もあまりかからないので、当分はフリマにはまりそう。

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