言論の自由の履き違え
毎日のニュースを見ると、ほんと病気にでもなってしまう位頭にくることが多い。それもニュースを流しているNHKをはじめとするマスゴミ自体が諸悪の根源ときているのだから、なにおかいわんやである。
最近の田母神前航空幕僚長や、ちょっと前のコイズミ首相のいかにも通りのよい発言に「言論の自由が憲法にはある」というのがある。改憲派である輩が、将来的に葬ろうとしている「言論の自由」「思想の自由」を、舌をだしながら「擁護」しているようにみせかけているのである。
しかしながら日本のマスゴミは、実は「言論の自由」が憲法を権力者に守らせ、それを国民が侵害を受けたときに戒めるためのもの、という観点を見て見ぬふりを決め込んでいるのだ。つまり、田母神よ!それはこういうことなのだ。たとえば小西さんのような反戦自衛官が登場した時、おまえは身体を張って「思想の自由・言論の自由」を訴える小西さんを守れるのかどうか。それが出来もしないくせに、歴史を改ざんし戦争をまたやりたいなどという「言論の自由」は、つばをはきかけるしかないのだ。
こういう輩が堂々と跳梁跋扈する否定すべき現実のなかで、本物のジャーナリストである筑紫哲也さんが逝ってしまわれた。私の大好きな、尊敬する人であった。天国にいてもあなたの大きな力を!
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