裁判員制度には反対だ
NHKで放送された「裁判員制度」の番組を見た。NHKの中にも良心派がいるのでは?と感じる番組が時々あるのだが、今回もそう思わせる内容ではあった。
現在の日本の警察ー司法制度に大きな問題があるのは事実だろうし、それを国民の側から良い方向に変えなければならないのは早急の課題であると思う。しかしそれと今回政府が推し進めている裁判員制度は、全く意味が違う。司法への市民の参加などと聞こえの良い言葉を弄してはいるが、それは逆で、市民がいかにも司法に参加していると幻想を抱かせ、司法への批判の口を封じようとしているのだ。「文句は言えまい。あなた方も参加したのだから」と。
今問題なのは、たとえば密室における警察の暴力的な取調べであり、死刑制度の根本的問題であり、三浦和義さん事件における日本の司法制度をアメリカが侵犯した大問題であり、何よりも結論的にいうなら司法のほとんどの情報が未公開であるということなのだ。「死刑か無期か」を決める私たちに、死刑の何かが例え一つでもわかっているのか?
怖いのは先ほどもあげたが三浦和義さんのような事件である。当時のマスコミは先を競って三浦さんの疑惑を報じ立て、それに乗っかった我々「市民」は司法への三浦さん逮捕ー有罪ー極刑を大いに「期待」したのである。結果は裁判官の公正な判決が出たとはいえ今のセンセーショナル好きのマスコミの動向を見ていると、これから先も同様の事件が次から次へと起きるのではと不安に感じざるを得ないのだ。
裁判員制度に賛意を示す人たちの意見に「先ずはやってみればよい」というのがある。問題点は少しずつ解決すれば・・・という観念論である。しかし考えてもみよう。裁判員になった人の意見を取り入れる制度がそもそもあるのか?裁判員になった人の「次」はもうないのだ。守秘義務があるので公開の場で討議しようにも発言も出来ない。
だんだん良い制度にになる?良い制度になる前に死刑を受けた人のことは考えない?
先ずは隠された情報をすべて開示すること。裁判員制度は一度ストップすること。
とにかくこの国が今やっていること、やろうとしていることはすべて否定的に捕らえたほうが良い。
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