日記・コラム・つぶやき

2008年12月15日 (月)

裁判員制度には反対だ

NHKで放送された「裁判員制度」の番組を見た。NHKの中にも良心派がいるのでは?と感じる番組が時々あるのだが、今回もそう思わせる内容ではあった。

現在の日本の警察ー司法制度に大きな問題があるのは事実だろうし、それを国民の側から良い方向に変えなければならないのは早急の課題であると思う。しかしそれと今回政府が推し進めている裁判員制度は、全く意味が違う。司法への市民の参加などと聞こえの良い言葉を弄してはいるが、それは逆で、市民がいかにも司法に参加していると幻想を抱かせ、司法への批判の口を封じようとしているのだ。「文句は言えまい。あなた方も参加したのだから」と。

今問題なのは、たとえば密室における警察の暴力的な取調べであり、死刑制度の根本的問題であり、三浦和義さん事件における日本の司法制度をアメリカが侵犯した大問題であり、何よりも結論的にいうなら司法のほとんどの情報が未公開であるということなのだ。「死刑か無期か」を決める私たちに、死刑の何かが例え一つでもわかっているのか?

怖いのは先ほどもあげたが三浦和義さんのような事件である。当時のマスコミは先を競って三浦さんの疑惑を報じ立て、それに乗っかった我々「市民」は司法への三浦さん逮捕ー有罪ー極刑を大いに「期待」したのである。結果は裁判官の公正な判決が出たとはいえ今のセンセーショナル好きのマスコミの動向を見ていると、これから先も同様の事件が次から次へと起きるのではと不安に感じざるを得ないのだ。

裁判員制度に賛意を示す人たちの意見に「先ずはやってみればよい」というのがある。問題点は少しずつ解決すれば・・・という観念論である。しかし考えてもみよう。裁判員になった人の意見を取り入れる制度がそもそもあるのか?裁判員になった人の「次」はもうないのだ。守秘義務があるので公開の場で討議しようにも発言も出来ない。
だんだん良い制度にになる?良い制度になる前に死刑を受けた人のことは考えない?

先ずは隠された情報をすべて開示すること。裁判員制度は一度ストップすること。
とにかくこの国が今やっていること、やろうとしていることはすべて否定的に捕らえたほうが良い。

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2008年12月 3日 (水)

久しぶりに聴いた声

NHKラジオ第一放送では、午前中に「ラジオビタミン」という番組をやっていて、きょうのゲストが永井龍雲だった。ほとんどの人が知らないと思うが、「道標ない旅」やチャルメララーメンのCM ソング「星月夜」などの歌を歌ったシンガーソングライターで、私も一時期大ファンになりコンサートにも何回か出かけたほどなのだ。その透き通るような声は今も健在で、番組の中でライブで歌ってくれたのだが、昔を思い出して胸がジンときた。

彼も波乱の人生を歩んでいたようで、しかしある時「神様っているんだ」と感じたと語っていた。51歳ということで団塊の世代とはちょっとずれはあるが、彼らと意識は共有できるといい、だからその世代への応援歌を評論家の富沢一誠と作ったらしい。ぜひ聴いてみたいと思う。

来年はギターを買い、もう一度龍雲の歌をしみじみ歌ってみたいと感じた12月の暖かい午前であった。

さて、話は変わってタイでの国際空港封鎖の問題についてである。ニュースで、帰国出来なくなった人たちの中で糖尿病などの病気を抱えている人々について報道していた。そこで疑問なのだが、現地の大使館などは今回の「事件」でタイを旅行中の人々に対する支援策を何かとったのだろうか?空港に行って日本人旅行客に「心配事、困りごとは相談してください」ぐらいのことはやったのだろうか?旅行客に病人がいるだろうことは、少し考えればわかることで、その人たちが長期にわたって空港から動くことが出来ないのだから命にも関わる事態が起きるかもしれないということを、真剣に憂慮し対策をたてるべきなのだ。

同時期に起きたインドでの出来事で、「対テロ」を声高に叫んでも、本当に異国の地で困っている人々には何も手立てを打たないのが、わが日本の現実なのだ。タクシン傀儡政権の打倒ということで今回の「事件」は収拾されそうだが、もし暴力的な事態に日本人が巻き込まれていたら、おそらく自公反動どもは自衛隊の現地派遣などと叫んでいたのに違いない。テロとの闘いとは、要するに自衛隊を闘わせたいということだけなのだ。民衆を守るためではなく・・・

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2008年11月13日 (木)

言論の自由の履き違え

毎日のニュースを見ると、ほんと病気にでもなってしまう位頭にくることが多い。それもニュースを流しているNHKをはじめとするマスゴミ自体が諸悪の根源ときているのだから、なにおかいわんやである。

最近の田母神前航空幕僚長や、ちょっと前のコイズミ首相のいかにも通りのよい発言に「言論の自由が憲法にはある」というのがある。改憲派である輩が、将来的に葬ろうとしている「言論の自由」「思想の自由」を、舌をだしながら「擁護」しているようにみせかけているのである。

しかしながら日本のマスゴミは、実は「言論の自由」が憲法を権力者に守らせ、それを国民が侵害を受けたときに戒めるためのもの、という観点を見て見ぬふりを決め込んでいるのだ。つまり、田母神よ!それはこういうことなのだ。たとえば小西さんのような反戦自衛官が登場した時、おまえは身体を張って「思想の自由・言論の自由」を訴える小西さんを守れるのかどうか。それが出来もしないくせに、歴史を改ざんし戦争をまたやりたいなどという「言論の自由」は、つばをはきかけるしかないのだ。

こういう輩が堂々と跳梁跋扈する否定すべき現実のなかで、本物のジャーナリストである筑紫哲也さんが逝ってしまわれた。私の大好きな、尊敬する人であった。天国にいてもあなたの大きな力を!

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2008年11月 4日 (火)

今日は一日ジュリー三昧を聞く

テレビの面白くなさはともかくとして、NHKFMの「今日は一日ジュリー三昧」ほんとよくやってくれたよね。タイガース時代からのジュリーファンとしてはとっても嬉しかったってこと。

なんたって10時間を超えるの番組だったので最初の5時間ぐらいしか聞けなかったけれど、ジュリー=沢田研二の一人語りだったので、彼の人となりがよく判ってますます好感度がアップした。タイガースの前身がファニーズであり、名づけ親がすぎやまこういちだったことや、ジュリーが一番最後にグループに入ったこと、一番年下だったこと、それで意見があまりいえなかったことなど、そうだったんだあと思うこともたくさん聞けたし、人気が出るまでの前のわくわく感がたまらない、という臨場感溢れる言葉には妙に納得した。

そうしたところへ、11月2日の東京新聞の記事である。憲法に対する沢田研二の熱き思いをともに共有したい。

最後にまったく関係ない田母神空幕長の発言についてだが、こいつは歴史というものを真摯に勉強したことがあるのだろうか?ネット右翼と同様におそらく、右翼=見たくないものは見ない、権力の御用学者の論文ぐらいしか読んだことはないのであろう。そしてこういうのだ。人の足を踏んづけといて「おまえが俺の前に足を出すのが悪い」と。
先ずその人に謝るという勇気がないこんな男には、国防を言う資格は永遠にないはずだ。退職金だって、「そんなの関係ねえ」と言って辞退しろよ。

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2008年10月31日 (金)

許すな消費税増税、ひんしゅく者の麻生

10月の最後に面白くもないJOKEを一つ。

「アソウは毎夜高級レストランとかバーに通っているけど、お店の従業員には相当ひんしゅくをかっているみたいだぜ」
「どうしてだい」
「だって頼むのが、『まずは、ケーキだ!』だもの」

さていよいよ麻生ー自公は3年後の消費税上げを宣言し、マスゴミはそれを評価し増税の道を掃き清めている。私たちのとるべき態度は明らかだ。次の選挙は必ずやつらを落とし野党に政権を取ってもらうこと。忘れるな、世の中を悪くし、もっとひどくしようとしているのは誰かを!

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2008年10月 2日 (木)

音楽遍歴⑥

人生最大の岐路は、「るるぶ」という旅雑誌のペンション無料招待に当選したことがそもそものきっかけとなった。70年代後半から80年代前半頃というのは、俗に言う「ペンションブーム」で、会社を定年退職した人や、都会に嫌気がさし田舎で民宿みたいなものを経営したいという若い夫婦たちが、長野県の原村や軽井沢などをはじめ全国各地にペンションを建て始めた。しゃれた洋風建築とリーズナブルな料金設定がうけ爆発的な人気となり、オンシーズンには予約が取りにくい状況が続いたほどだった。

その頃の私には子供が二人いて、どこかに泊まりに行くとすれば国民宿舎や民宿がもっぱらだった。そんな時「るるぶ」という雑誌に人気のペンション特集なる記事があり、読者無料招待という企画があって、それに応募したらめでたく当選したのだった。11月のもう既に寒い原村を、私たち夫婦は子供を親に頼んで、二人で訪れた。旅には必ずギター持参で、時には彼女と二人で、時には宿泊している人たちと一緒に歌ったものだ。フォークソング全盛の時代、歌う歌には事欠かなかった。

私たちが初めて訪れたペンション。そこのオーナー夫妻が実にいい人たちで、私たちは意気投合して夜中までいろいろな話に興じていた。将来は二人で喫茶店みたいなものをやりたいという話をすると、ペンションをやったらどう?と真剣に応じてくれた。

私たち夫婦は今、長野県にいる。はじめて泊まった(それも無料で、ワインもサービスしてくれた)ペンションでの一夜が、私たちの人生を大きく変えたのだ。

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2008年9月21日 (日)

音楽遍歴⑤

大学は中退し某市役所に就職、働き先というよりは組合活動をやるために選んだ職場だった。そんな中でも市が運営していた文化会館というものがあって、コンサートの切符が無料で手に入ることもあった。だからジュリー=沢田研二と渡辺真知子のコンサートはただで観ることができたのだ。やっぱりライブはいい。もう何十年も前のことだけど、目をつぶれば派手な衣装のジュリーが、歌のとっても上手な渡辺真知子がよみがえってくるのだ。

と思っていたら、ジュリーが意外なところで登場していた。還暦を迎えた彼は、「我が窮状」なる憲法九条を大事にしたい想いの歌を発表し、その胸のうちを朝日新聞に語っていたのだ。ああ、自分の好きなアーティストがこんな形で出てきてくれるなんて!
現在の日本の状況を見れば「奇跡」に近い発言だと思う。心から支持し、応援をしたい。

しかしその頃はといえば(70年代中盤)私の音楽生活はフォーク・ニューミュージック一色になっていた。さだまさし、松山千春、永井龍雲、長渕剛の楽譜やフォーク大全集などのギターコードがでている雑誌を買い求め、一人で、あるいは彼女と歌いまくっていたのだ。特に永井龍雲はその声の美しさと楽曲の良さに心惹かれ、レコードを揃え、コンサートに行き、ファンクラブの人と話をするまでになったほどだった。

市役所に勤めていた時に運転免許をとり、ドライブの楽しさを知った私に、人生最大の岐路が訪れた。

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2008年9月 6日 (土)

美味しいお店

ふと入ったお店が、とても美味しい料理を提供してくれ、サービスも行き届いているとなると本当に嬉しくなる。

仕事の関係で東京にはよく出かけるのだが、ごはんを食べるところは大体決まっていて、お気に入りのお店以外はあまり入る気がしない。値段のことがいちばん大きいが、食べてがっかりということがあまりにも多いから。
おととい久しぶりに品川駅前の「ぎやまん亭」に行き、串焼きと釜飯を頂いた。味も変わっていなかった=美味しいし、サービスも良く、とても楽しい食事の時間を過ごすことが出来た。良いサービスってなんだ?と思っている人に一つだけだけどお教えしよう。
カウンターで食べていたのだけれど、釜飯の量が妻には多すぎて「持って帰りたいね」などと小声で話していた。それを板前さんが聞きつけて、「残りはおにぎりにしますから、持っていってください」と言ってくれたのだ。そしてすぐに握ってくれた。ただそれだけのことだけど、とても嬉しく心が和んだ。

この不況の時代、どの産業も生き残りをかけて必死だろう。そんな中で一つ言えるとしたら、やはり全ての面で「人」が大事ということだ。つくり笑顔とマニュアル通りの接待では客は満足しないだろう。人の満足を得るために何かをしてあげること・・それは簡単なことのようでなかなかできることではない。利益ばかりを追求し、その人を成果だけで推し量る企業には絶対に出来ないことなのだ。

新聞や雑誌の広告に最近よくでているのが、「私たち従業員はお客様の満足をいただくために、こうしてがんばっています」とその社員を大きく写真に載せて消費者に媚を売る作戦タイプ。だがしかしその会社がどれだけその従業員を軽視し、将棋の駒の一つぐらいないにしか見ていないことを、元その会社系列にいた私は知っているのだ。従業員を満足させることを抜きにして、お客様の満足だけを得ようとしている経営者には、おそらく自分自身が満足するということは一生おとずれないであろう。

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2008年8月 3日 (日)

チビ太は私のアイドルだった

「ケケッ、チビ太だい!」これはふざけたことをした時に私の口から出る、愛すべきセリフなのだ。私に漫画の面白さを「おそ松くん」で教えてくれた、赤塚不二夫が逝ってしまった。
72歳というからまだまだ若い、早すぎる死であった。

「・・・ざんす」のイヤミ氏、「ほえほえデカパンだす」のデカパン、「ぼくハタ坊だじょー」のハタ坊、「おでんが大好きなんだい!」のチビ太。そしておそ松くん一家。みーんな私のアイドルだった。私の漫画好きの原点がそこにはあった。今でも孫たちに何か描いてと言われると、白い紙に登場するのはシェーをするイヤミであり、頭に毛が一本のチビ太なのだ。

追悼、赤塚不二夫。天国で思う存分お酒を飲んで・・・

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2008年7月 3日 (木)

2008年、7月

早いもので今年も7月となり、半分が過ぎた。この年になると、時の流れの勢いは止めることが出来ないほどに加速する。
こういう時はほんとは旅に出るのがいいのだ。非日常的な時間の中にいると、時計の針がゆっくりと回っているような気持ちになれるから。

ああ、しかししかし。昨今の原油高騰をはじめとする値上げのラッシュ!旅に出るなんてとんでもないことなのだ。
こんな時は、図書館にでかけて本を借り、熱いコーヒーを飲みながら読書に浸ろう。それが出来る安上がりな私。

てなわけで今回借りた本は、中野正夫「ゲバルト時代」とATTACフランス編「徹底批判G8サミット」。読書評はまたの機会に書くとして、サミット批判の中のスーザン・ジョージの言葉を紹介しておこう。
「私たちは、彼ら(G8首脳)ではなく私たちこそが未来であるということ、彼らではなく私たちこそが貧困な世界が本当に求めているものを知っていること」「ともに私たちは活動を継続していきましょう」

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2008年6月23日 (月)

音楽遍歴④

♪ああインターナショナルわれらがもの、起て飢えたる者よ、いまぞ日は近し・・・♪
高校三年生ぐらいから、急速に政治に目覚めていった。70年安保の年がちょうど17歳の多感な時期だということもあるし、何よりもあの時代の雰囲気はとても言葉で言い表す事は出来ない。今の学生たちには想像もつかないだろうが、周り中活動家だらけだったのだ。放課後は討論に明け暮れ、ベトナム反戦集会や反安保の集会やデモに主体的に参加していった。ブログのコメントに第三者面をして、ふざけた事を書き込むなんていうことは、時代が違うにしてもまずあり得なかっただろう。
学生時代に政治や社会に異議申し立てを言うほどの敏感な知性を磨かずして、いつその批判精神を育てられるというのだ。私たちは、いつも政治家や官僚の言いなりになるだけの存在ではないのだから。

さて話が脱線してしまったが、高校三年ぐらいから大学生時代はそんなわけで「インターナショナル」や「友よ」「ワルシャワ労働歌」を歌うのが日課になっていた。だけどもちろんそれだけの世界だけではない。あの頃台頭してきたのは、フォークソングであった。私も家にあったクラシックギターを手に、岡林信康、フォーククルーセイダース、高石友也の曲なんかを歌っていた。「自衛隊に入ろう」「受験生ブルース」「悲しくてやりきれない」などなどまさに時代を反映した歌の数々。そうそう、新宿駅で反戦フォーク集会が盛り上がったのもこの頃で何千何万の若者が、一緒に声をはりあげた。当時有名になった官憲のセリフがある。「立ち止まらないでください。ここは通路です、広場ではありません」

インターネットで一見広場らしきものはある。しかし今作らなくてはならないのは、仲間たちが集い声を上げることの出来る、本当の広場ではないのだろうか。

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2008年6月15日 (日)

音楽遍歴③

高校時代は某県立高校の放送部に属していた。相変わらず歌謡曲が好きで、ティーンエイジャーのくせに鶴岡正義と東京ロマンチカの「君は心の妻だから」なんかを口ずさんでいたりもしていた。しかし、部活動や他の部員たちの音楽観、いや何よりも時代の影響が次第に私をとらえ始める。
ビートルズやローリングストーンズ、ビージーズなどのポップスやジャズーR&B が私の耳を刺激し、心を騒がした。英語の詞を一生懸命覚え、テープレコーダーで繰り返し歌った。
放送部にいたおかげで、普通なら使えるはずのないテレコを(当時はまだレコードの時代だったのだ)存分に使う事が出来たのだ。

高校時代の音楽でもう一つ特筆すべきは、何と言っても「深夜放送」だろう。オールナイトニッポンの糸居五郎、亀淵昭信(ニッポン放送の社長になったのには驚いた)斉藤アンコー、セイヤングのなっちゃん、チャコちゃん。いわゆるディスクジョッキーの軽妙なおしゃべりに連帯感を感じていた。そして当時は新曲といえば、深夜放送から知る事ができたのだった。テスト勉強をしなければならなかった夜遅くに、オールナイトニッポンを聞いてしまったために涙を流したことが、いったい幾日あったことだろう。
梶幹夫アナに手紙を全部読んでもらったのも、今では懐かしい思い出だ。

高校時代後半から大学時代、私の歌う歌は「インターナショナル」「友よ」などベトナム反戦運動に大きく影響される・・・

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2008年6月 1日 (日)

フリーマーケットに行く

さわやかな青空のもと、近所で開催されたフリーマーケットに出かけた。ワイシャツとペコちゃんの小さな人形をゲット。森永卓郎さんに影響されたわけではないが、おもちゃの収集が一つの楽しみとなりつつある。集めているのは、ベティちゃん・ポパイ・オリーブ、そしてペコちゃん。フリーマーケットで買えるものは圧倒的にペコ関係が多い。売っている人と値段の駆け引きをするのも面白く、お金もあまりかからないので、当分はフリマにはまりそう。

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2008年5月31日 (土)

音楽遍歴②

ラジオを聴いていたら、ある音楽番組のゲストに森本太郎が招かれていた。ほとんど多くの人が知らないだろうが、彼は40年ほど前のグループサウンズ全盛期の頃、あのザ・タイガースに属していたのだ。サイドギター担当の「タロー」として。

私の音楽遍歴は、坂本九ちゃんに始まり、舟木一夫、加山雄三を経て中学生時代のGSブームに巻き込まれることとなる。勉強に記憶力を注げば良いものを、ザ・スパイダース(堺正章もいた)ブルーコメッツ、テンプターズ、ワイルドワンズ、オックスなど数多あるGSの歌を一生懸命覚え、今でもそらで歌えるほど。当時はテープレコーダーやビデオなんていうものは当然になく、テレビやラジオで流れている歌を必死で書き写したことを思い出す。そしてそのグループサウンズの中で、大好きだったのがザ・タイガースなのである。特にジュリー、沢田研二の大ファンで、コンサートにも出かけたし、何よりも彼の出演した映画「太陽を盗んだ男」は、日本のアクション映画ベスト3に入れても良いくらいの作品だと思っているし、今も俳優として歌手として前線で頑張っているのを見るのは嬉しい。

主として歌謡曲がメインだった私の音楽遍歴に、ビートルズをはじめとする洋楽ポップスが時代の波と共に打ち寄せてくる。それが高校生時代となる。

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2008年5月28日 (水)

音楽遍歴①

ラジオやCDなど、音楽を聴くのは大好きだ。最近の歌、特に日本の曲は好きではないので、もっぱらインターネットラジオを聴いている。カントリーミュージックやオールディーズが今の私のお気に入りだ。

思い出してみると、歌謡曲ではじめて覚えた歌は坂本九ちゃんの「上を向いて歩こう」あたりだったか。それとも母がよく歌っていた三橋美智也か春日一郎の歌だったろうか。九ちゃんやダニー飯田とパラダイスキング、九重佑三子などが出演していたテレビ番組に夢中になっていたのが小学低学年の頃だ。そして小学校高学年になると、いわゆる御三家が大人気となり、私は舟木一夫の大ファンとなる。「高校三年生」から「夕笛」あたりまでの曲なら今でもしっかり歌えるのだ。遠足のバスの中でマイクを握り、「修学旅行」を舟木一夫のものまねです、などと言って歌ったことを、恥ずかしさともども思い出す。

それがまぎれもなく私の音楽遍歴(?)の始まりであった。

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2008年5月27日 (火)

何なのあのお店の挨拶

「いらっしゃいませー、どうぞご覧くださいませ」・・・と、文章で見るだけならば何と言うこともないのだが、もう皆さんも知っているでしょう、あの独特な言い回しの店員の挨拶。きょう某アウトレットに出かけたのだが、あちこちのお店の中からこの声が聞こえてきて、妻や娘とひとしきり話題となったのだ。「お店のマニュアルになっているのかなあ」とか「他の人の真似をしているうちにああなったのか」「柳原可奈子が真似をしているのを知っているのだろうに」「洋服やさんに勤めている人がいるから聞いてみよう」とか・・・

日本語の使い方について、とくに店員の人が使う「・・のほう」「・・からいただきます」「よろしかったでしょうか」などについては色々な方面から批判や間違いの指摘が行なわれてきたが、「いらっしゃいませ」のイントネーションのおかしさや、個性を押し殺した声については別に悪いことではないので、何と言うこともないのかもしれない。でもねー、やっぱりあれは変だよと声をあげたい。

そしてお昼。某Sコーヒー店でコーヒーとパンを食べるとき、妻がガラス戸にぶつかってトレイに載せた注文品一式をぶちまけてしまった。その時の店員の対応、すぐに妻を気遣ってくれ、注文品もすぐに新しいものと取り替えてくれた。これこそが本物のサービスというものではないだろうか。魂の入っていない「イラッシャイマセーー」なんて・・・

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2008年5月15日 (木)

訂正

昨日の記事の中で、「全学連を狂人(清谷)」と書いたのは「全学連を狂信者たち(清谷)」の誤りでした。訂正いたします。

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2008年5月 6日 (火)

お宮参り

近所の神社でお宮参りをした。私たち夫婦にとっては4人目の孫の、行事である。連休最後の安曇野は天気も良いし、初めての女の赤ちゃんは大泣きすることもなかったので、粛々と(変な言葉だよね)事は進んだのであった。

思えば私たち夫婦が一緒に暮らし始めたのは、もう35年前になる。二十歳の誕生日は共に生活をしていたのだから、改めて時の流れの早さに驚く。そして二十歳の時に生まれたわが娘が、何と4人目の子供の母親になるなんて!

赤ちゃんの 柔らかほっぺに 桜舞う

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2008年5月 5日 (月)

子供の日に思う

今日は子供の日。「子供」といえば「遊び」を連想するのだけれど、いまどきの子供たちは「ゆとり教育」の見直しに見られるように、のびのびとした時間がとれていないようで、とてもかわいそうに思う。

人が生きていくということは、いろいろな局面を迎え、それを乗り越えていくことになるのだけれど、その時その時にやはり光り輝いていたいものだ。塾に通い、家の中でゲームに明け暮れる。そんな子供時代を過ごすことだけは避けてほしい。これには親の考え方や生き方にも大きく左右されるのだが。

私が子供の頃の遊びといえば、缶けりや三角ベースボール、ドッジボールが主だった。家の中では将棋やトランプなどをやったものだった。いっときレーシングカーがブームになったけれど、これは値段が高くて手が出ず、すぐに下火となった。そう、あの三丁目の夕日の世界が私の子供の時代だったのだ。

子供の日に改めて思う。経済的な豊かさがイコール人の幸せではないのだ、と。そして憲法九条を守り、決して子供たちを戦場に送ってはならないのだ、と。

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