書籍・雑誌

2008年7月21日 (月)

ゲバルト時代を読んで

もしもあの時代のことを私が書くとしたら、題名は「ゲバルト時代」ではなく「闘いのとき」とかになっているだろう。まさに題名は全てをあらわす。作者、中野正夫にとって六十年代後半から七十年代前半にかけての反戦ー反体制運動の高まりは、ゲバルトによってのみ総括できる(する)時代なのだ。

当時のデモや街頭闘争に参加した者にしかわからないであろうあの「よーしやるぞ」という胸の高鳴りや、緊張感、恐怖感をこの本を読んで久しぶりに思い出した。私自身は七十年闘争から本格的に闘いの渦中に飛び込んだので、68年の新宿騒乱闘争は話しに聞くだけでどういう闘いだったのかは詳しくは知らなかった。だから「目に入ってきたのは生まれて初めてのすごい光景だった。新宿通りは車も都電も通れず、とにかく人があちらこちらにギッシリ群れていた。その合間を縫って、中核派をメインに各派が車道の中央をデモ行進していた。一種異様な、まさに騒乱的なウワ-ンという唸るような状態だった」とか、日大闘争のシーンで「デモ隊は掛け声とともにザッザッザッとリズムをきざんで白山通りを進んだ。その時信じがたいことに、歩道も車道も地震のようにボヨーン、ボヨーンと波のように地面が揺れたのだった」とか、その場にいた者にしか経験できない感覚を遠く思い出したのだった。

だが当時のことを思い出すだけで終わるのなら良いが、『あとがき』で当時の「革命ごっこの親玉たち」が相も変わらぬバカな言動と出版などをしている姿を見聞きするにつけ、こいつらの脳みそはどうなっているんだ?・・・内ゲバやリンチで死んだ人々のことをこいつらはどう考えているんだろうか」と書き始めた動機を語っているのだが、ここにこの本の反動性を垣間見てしまうのだ。つまり当時の闘いの息吹きを感じることはあっても、闘いの意義を見いだすことはできない。そう、ゲバルト、一時の感情のみの肉体派でしかなかったおのれを総括しようともしていないのだ。自分を正当化するためにのみ今闘っている人を非難罵倒する。一生を闘いのなかで生きる者たちへの敬意もない。あなたこそ、内ゲバやリンチで死んだ人のことをどう考えているのか?

最後に「人間はみんな好きなように意味も判らずに勝手に生きるのであって、それで言いと思う」と結んでいるが、だったら誰が何を言っても無駄じゃん。アー暑い。

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2008年6月 4日 (水)

雲の都③

加賀乙彦「雲の都・第三部」を読み終えた。この巻の主人公である小暮悠太の叔父、菊池透の死に涙した。小説を読んで泣くなんてとても久しぶりだが、私もそれだけ年を取ったということなのだろうか。
最近、日本の文学や映画などでは、いわゆるお涙頂戴物が人気らしいが、加賀乙彦の作品はそれらのものとは一線を画すと思う。人の死や病気ー不治の病を扱えば、多少の文学的才能や映画製作経験があれば「感動作品」は作れるであろう。しかし、人はなぜ生まれ、どう生き、どこへ行くのか、という深大なテーマがあらかじめ封印されている、それどころか考えようともしない作品ばかりなのではないか。

まあ他の作品のことはともかくとして、この第三部も非常に読み応えがあり、人生というものを考えさせられたのは確かなのである。
記憶に残る文章もたくさんあるのだが、その一節。読んでいると、目の前に桜の花びらが飛んでくるように感じてしまう名文だ。「(水の上から見る桜は)ほんとにいいもんだねえ。水の底で桜が咲きほこっている感じがいい。水が桜を生み出しているようだ。そして水底からも空からも花びらが水面に集まってきて浮いて踊っている」
そんなロマンチックな文章だけの作品ではもちろんない。「ぼくが悟ったのは、日本人は戦争中も戦後も少しも変わっていなかったという事実だね。個人が孤立してなにかを主張すれば、集団は寄ってたかって個人を攻撃する。苛める。疎外する」

さてここで私には言いたいことがある(いつも言ってるか?)
それは現在法政大学をはじめとする学園で行なわれている、大学当局による学生への不当弾圧についてである。大学は学問を追究するところであることは言うまでもないが、決して企業の下請け機関ではないし、まして教授や学生部の言いなりになる学生を生み出すための機関ではない。個人が孤立してなにかを主張するとき、それを守るのが大学の勤めであり、知識人の任務ではないのか。戦争に反対し、大学の自治を守るために立ち上がっている学生に対して退学や停学処分を乱発し、あろうことか警察ー国家権力の導入をたやすく要請することなど、教育を本分としている大学であるならば、絶対にあってはならないことだ。
今私に出来ることはあまりないのだが、心の底から現在の自公ー戦争突撃内閣を憂い、身体を張って闘っている、法政大をはじめとする学生たち、法政大学文化連盟に「がんばれ」の声を届けたいのだ。

おそらく加賀乙彦もそうだろうと思いつつ・・・

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2008年5月14日 (水)

雲の都②

仕事の関係もあり、なかなか読み進まない。

読み応えのある小説は、色々な知識を読み手に与えてくれる。加賀乙彦の作品の場合は、もちろん医学部出身の作家ということで、医学に関する話題は当然だが、音楽や美術・文学一般論などについても、非常に奥深く、興味深く物語を提供してくれるのである。「雲の都」の時代背景は戦後の動乱期から始まっているということもあるが、主人公や登場人物の性格上、全学連ー学生運動も大きくかかわってくる。そのことについては、私のブログの大きなテーマでもあるので後述するが、実はブログ初心者の私が、驚くべきことがこの世界(ブログ)にはあるのだ、ということを知った。

それは今日「全学連」を検索し、「清谷新一」なる輩のブログを見て、真実知ったのだ。もちろんこれまでも、インターネットは見てきたし、他人のブログも読んだりはしていた。しかし06年に書かれたこの「全学連を狂人(清谷)」といいなした文章を読み、それに続く非論理的、かつ暴力的な「コメント」を見たとき、これがうわさに聞いていたネット右翼かあ、とあきれもし、怖くもなったのだ。

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2008年5月13日 (火)

雲の都①

「海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある」・・・三好達治。

この詩を、今読書中の加賀乙彦の作品の中で知った。素晴らしい小説の中には、もうひとつの素敵な世界がある。

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2008年5月 9日 (金)

加賀乙彦の新作が・・ 2008/5/9

久しぶりに図書館に出かけた。大の読書好きで、近隣の三箇所の図書館に暇が出来ると顔を出している。きょうは嬉しいことに、加賀乙彦の新作「雲の都・第三部・城砦」を発見、借りることが出来た。この作品は、時田利平一族の昭和初期から戦後の動乱期を描いた波乱万丈の・・などと、ひとことでは言い尽くせない骨太の物語である。未だ作品自体が現在進行形で発表されているので、この先どうなるのかがわからない、読むほうにとってはすっきりしない、まるで24(トゥエンティフォー)の途中の場面を見ている、テレビの前の私という感じなのである(長くてごめん)。

ともあれこれからしばらくはこの本に没頭することになる。私の好きな作家や、文学観などについては追々書いていきたいと思う。

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